2010年9月27日月曜日

アルプス飛行の続き

 菊田さんは私のパラ仲間です。
 彼は岩登りも趣味で仲間三人でアルプスへ行く計画をしていたので、私もインスブルクで彼らに合流させて貰い、パラで飛ぶ積りでした。
 それを村井さんに話したら、山歩きだけで良いから、参加したいと言い、私と一緒にインスブルクに、行く事になりました。
 
 世田谷の自宅から、何度も所沢の我が家を訪れては、地図を見ながら、楽しそうに飛行機やレンタカーの手配をしていた、彼の事を思うと心が痛みます。

 岩登りの阿久津さんから電話が掛かって来たのは、その直後でした。
 「昨年菊田さんに連れられ、エリアを見学しているので場所は知っているよ、
 陽溜りさんが一人でも飛ぶなら、案内するよ」と申し出てくれました。
 「有難う是非お願いするよ。」

 「一晩考えたけど、一か八か行って見ようと思うんだ。
 パラで飛べるか分からないけど、予定通り実行しよう、」と村井さんに早速電話すると。
 「え、本当に行けるの?」 
 「嬉しいな、俺も飛べるように出来るだけ協力するよ、」声が弾んでいました。

2010年9月25日土曜日

アルプス飛行の回想録

・リーダの突然の入院

 「村井さん、ヨーロッパ行けなくなったよ!」 
 「え、どうしたの?」 
 
 「リーダーの菊田さんが、昨日鬼怒川上空を、パラで飛行中に墜落して、救急車で運ばれ入院したんだって。」
 「彼の娘さんから、メールが入ったんだ、電話も出来ないみたい。」
 「パラの相棒がいなくては、俺だけじゃ飛べないよ、」
 
 「そう、どうしても駄目?」
 「何とか飛ぶ方法が無いか、アルプスでのフライトツアーを組んでいる、中台さんに相談したけど、今からでは、とても無理と断られたよ。」

 「岩登りの二人も、中止するつもりだったけど、出発間際で、代金が殆ど戻らないので、イタリアのドロミテには行かず、オーストリーだけに、滞在する案に変更して、行くことにしたんだって。」
 「もしそれで良ければ、一緒に行ける様、頼んであげるけど。」
 
 「でも俺一人で、インスブルクまで行けないよ。
 アエロフロートで、モスクワ経由ミューヘンに入り、合流するインスブルクのホテルまで、アウトバーンを一人で運転する自信無いよ」と悲しそうに呟いた。
 「俺も中止するよ……」

 中国遠征が尖閣諸島問題で、危なくなって来ました。
旅行記の投稿を約束していたので、中止になった時の為に、前回の旅行の回想録を、書き始めました。

2010年9月8日水曜日

中国遠征

10月初めに中国フライトを、予定しているので、先週はリハビリを兼ね、山で飛んで来ました。
初めてのエリアでしたが、気持ち良く飛ばさせて頂き、少し自信を取り戻す事が出来ました。  

北京から列車で10時間の長旅です。
エリアはシルクロードの玄関口、西安の近く、出来ればタクラマカン砂漠迄行きたいけど、無理かな?
2年ぶりの海外遠征、心が踊ります。

2010年9月1日水曜日

私の編集作業

最後の原稿が届き、今度の会議で了承されれば印刷、そして待望の発行となります、始めての経験だったので、無我夢中で過ごした数ヶ月でした。

終わった後の達成感と虚脱感は、私が今までやって来た物造りと同じでした。

情報革命なんて遠い国の出来事の様に、手書きの原稿、通信手段は郵送かFAX、お陰で封を切り手書きの原稿に触れると、作者の心情が伝わって来ます。

ボランティアだから出来たけど、きっと多くの人が転職を余儀なくされたと思うと複雑な気持ちになります……

2010年8月4日水曜日

世界標準

先日の編集会議で、私達のグループは、30年の歴史があり、最高齢は90歳を越え、高齢の方が多いので、見慣れた縦書きにして欲しいと要望されました。

さすがのグーグルも、日本特有の縦書きを、取り入れるつもりが無いみたいで、私の使っている、ドキュメントにも、その機能が有りません。

ちょんまげが、相撲界でしか見られ無い様に、縦書きは書道でしか、使わなくなるかもと思いつつ、ワードお試しソフトを、ダウンロードして、編集のやり直しを行なっています。

若い頃旅したベトナムで、看板を指差し、フランス統治時代、彼らが読める様に、アルファベットの使用が義務付けられました、と喋っている案内人の顔を思いだしました。