・深夜のトルコ系女性
大幅に時間を取られた為、ミューヘン空港地下の電車乗り場に着いたのは、終電少し前でした、
駅にはトルコ系の二人連れの、若い女性しかいませんでした。
切符を買おうにも自動発券機は、日本と違って、一台で行先や料金を入力しなければならなく、ドイツ語の読めない、私達にはとても手がでません、
困惑している私達を見て、上の事務所に行けば、駅員がいるので、旅行者は切符を売って貰えると教えてくれました。
切符を購入し、なんとか終電車に乗り込むと、例の二人連れも乗り込んでいました。
私の手に持っている切符を覗きこんで、自分の切符と交換してと、せがまれました。
何故交換したいのか分からないけど、色々親切にしてもらったお礼に、交換に応じました。
途中、貴方達の降りる駅は三つ先よと、言い残して降りて行きました。
ミューヘン中央駅に着いて、ようやくなぞが解けました。
ドイツの地下鉄の改札口は、出入り自由なんですね、幾らでも無賃乗車が出来るのです、
でも無賃乗車が見つかると、とても高い罰金を、払う嵌めになるそうです。
私の旅行者用切符は、発券日が記載されていないのでした、もう、おわかりですね。
2010年9月28日火曜日
・ミューヘン国際空港
・ミューヘン国際空港
乗換のモスクワ空港での時間調整は、待合わせロビーも無く、皆階段や通路に座って待っていました、まるで昔の上野駅の様な、雑然とした雰囲気です。
それに比べミューヘン空港は整然としており、ドイツ好きの村井さん、「やっぱりロシアとは違うなあ~」、としきりに誉めていました。
入国手続きが終わり、手荷物受取ターンテーブルから荷物を取り出したけど、カートが見当たりません。
構内を探し回っていると、年配の大柄な警備員が何か喋りながら近づいて来ました、言葉が分からず首を傾げている私を、部屋の外に追い出したのです。
何度も入れてくれる様、カタコト英語で頼んでも、頑として入れてくれません。
途方に暮れ、近くの警備員詰め所に行き、状況を説明すると、若い警備員に入国ゲートまで連れて行かれ、入国手続きを、最初からやり直す事になりました。
突然消えた私を、不安な気持ちで待っている、村井さんを思うと、気が焦ります。
30分程かかって、ようやく彼の元に戻る事が出来ました。
入国早々、この国が嫌いになりました。
手荷物を20kg以下に抑える為、服装は山登りのままでしたので、不法入国のアジア人と間違えて、追い払われたのかも?
乗換のモスクワ空港での時間調整は、待合わせロビーも無く、皆階段や通路に座って待っていました、まるで昔の上野駅の様な、雑然とした雰囲気です。
それに比べミューヘン空港は整然としており、ドイツ好きの村井さん、「やっぱりロシアとは違うなあ~」、としきりに誉めていました。
入国手続きが終わり、手荷物受取ターンテーブルから荷物を取り出したけど、カートが見当たりません。
構内を探し回っていると、年配の大柄な警備員が何か喋りながら近づいて来ました、言葉が分からず首を傾げている私を、部屋の外に追い出したのです。
何度も入れてくれる様、カタコト英語で頼んでも、頑として入れてくれません。
途方に暮れ、近くの警備員詰め所に行き、状況を説明すると、若い警備員に入国ゲートまで連れて行かれ、入国手続きを、最初からやり直す事になりました。
突然消えた私を、不安な気持ちで待っている、村井さんを思うと、気が焦ります。
30分程かかって、ようやく彼の元に戻る事が出来ました。
入国早々、この国が嫌いになりました。
手荷物を20kg以下に抑える為、服装は山登りのままでしたので、不法入国のアジア人と間違えて、追い払われたのかも?
2010年9月27日月曜日
アルプス飛行の続き
菊田さんは私のパラ仲間です。
彼は岩登りも趣味で仲間三人でアルプスへ行く計画をしていたので、私もインスブルクで彼らに合流させて貰い、パラで飛ぶ積りでした。
それを村井さんに話したら、山歩きだけで良いから、参加したいと言い、私と一緒にインスブルクに、行く事になりました。
世田谷の自宅から、何度も所沢の我が家を訪れては、地図を見ながら、楽しそうに飛行機やレンタカーの手配をしていた、彼の事を思うと心が痛みます。
岩登りの阿久津さんから電話が掛かって来たのは、その直後でした。
「昨年菊田さんに連れられ、エリアを見学しているので場所は知っているよ、
陽溜りさんが一人でも飛ぶなら、案内するよ」と申し出てくれました。
「有難う是非お願いするよ。」
「一晩考えたけど、一か八か行って見ようと思うんだ。
パラで飛べるか分からないけど、予定通り実行しよう、」と村井さんに早速電話すると。
「え、本当に行けるの?」
「嬉しいな、俺も飛べるように出来るだけ協力するよ、」声が弾んでいました。
彼は岩登りも趣味で仲間三人でアルプスへ行く計画をしていたので、私もインスブルクで彼らに合流させて貰い、パラで飛ぶ積りでした。
それを村井さんに話したら、山歩きだけで良いから、参加したいと言い、私と一緒にインスブルクに、行く事になりました。
世田谷の自宅から、何度も所沢の我が家を訪れては、地図を見ながら、楽しそうに飛行機やレンタカーの手配をしていた、彼の事を思うと心が痛みます。
岩登りの阿久津さんから電話が掛かって来たのは、その直後でした。
「昨年菊田さんに連れられ、エリアを見学しているので場所は知っているよ、
陽溜りさんが一人でも飛ぶなら、案内するよ」と申し出てくれました。
「有難う是非お願いするよ。」
「一晩考えたけど、一か八か行って見ようと思うんだ。
パラで飛べるか分からないけど、予定通り実行しよう、」と村井さんに早速電話すると。
「え、本当に行けるの?」
「嬉しいな、俺も飛べるように出来るだけ協力するよ、」声が弾んでいました。
2010年9月25日土曜日
アルプス飛行の回想録
・リーダの突然の入院
「村井さん、ヨーロッパ行けなくなったよ!」
「え、どうしたの?」
「リーダーの菊田さんが、昨日鬼怒川上空を、パラで飛行中に墜落して、救急車で運ばれ入院したんだって。」
「彼の娘さんから、メールが入ったんだ、電話も出来ないみたい。」
「パラの相棒がいなくては、俺だけじゃ飛べないよ、」
「そう、どうしても駄目?」
「何とか飛ぶ方法が無いか、アルプスでのフライトツアーを組んでいる、中台さんに相談したけど、今からでは、とても無理と断られたよ。」
「岩登りの二人も、中止するつもりだったけど、出発間際で、代金が殆ど戻らないので、イタリアのドロミテには行かず、オーストリーだけに、滞在する案に変更して、行くことにしたんだって。」
「もしそれで良ければ、一緒に行ける様、頼んであげるけど。」
「でも俺一人で、インスブルクまで行けないよ。
アエロフロートで、モスクワ経由ミューヘンに入り、合流するインスブルクのホテルまで、アウトバーンを一人で運転する自信無いよ」と悲しそうに呟いた。
「俺も中止するよ……」
中国遠征が尖閣諸島問題で、危なくなって来ました。
旅行記の投稿を約束していたので、中止になった時の為に、前回の旅行の回想録を、書き始めました。
「村井さん、ヨーロッパ行けなくなったよ!」
「え、どうしたの?」
「リーダーの菊田さんが、昨日鬼怒川上空を、パラで飛行中に墜落して、救急車で運ばれ入院したんだって。」
「彼の娘さんから、メールが入ったんだ、電話も出来ないみたい。」
「パラの相棒がいなくては、俺だけじゃ飛べないよ、」
「そう、どうしても駄目?」
「何とか飛ぶ方法が無いか、アルプスでのフライトツアーを組んでいる、中台さんに相談したけど、今からでは、とても無理と断られたよ。」
「岩登りの二人も、中止するつもりだったけど、出発間際で、代金が殆ど戻らないので、イタリアのドロミテには行かず、オーストリーだけに、滞在する案に変更して、行くことにしたんだって。」
「もしそれで良ければ、一緒に行ける様、頼んであげるけど。」
「でも俺一人で、インスブルクまで行けないよ。
アエロフロートで、モスクワ経由ミューヘンに入り、合流するインスブルクのホテルまで、アウトバーンを一人で運転する自信無いよ」と悲しそうに呟いた。
「俺も中止するよ……」
中国遠征が尖閣諸島問題で、危なくなって来ました。
旅行記の投稿を約束していたので、中止になった時の為に、前回の旅行の回想録を、書き始めました。
2010年9月8日水曜日
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