2010年10月25日月曜日

ナイスショット!


 流石中国プロカメラマン?、完璧な離陸、自分で見ても惚れぼれします。
 
 中国から帰国後間もなく風邪の症状が出て、もしかしたら新型インフルエンザかなと心配したけど、治まりホットしています。
 紀行文も書き終え送信したら、入れ違いに私宛に次号の投稿文が届き、推敲に取り掛かりましたが、途中で手が止まりました。
 投稿した記事がまるで違う文章になった、苦い思いがあるので、他人の文章に手を入れるのを躊躇ってしまいます。

2010年10月15日金曜日

中国ビジネスマン達

安陽駅で乗り込んだ新幹線そっくりの高速鉄道の車内は既に満員。
我々の指定席も堀江もんそっくりさん、大学教授らしき中年男性、小太りで愛嬌ある女性実業家風の人達に占領されていました。
此処は私達の席と思いますがと切符を見せると、快く明け渡してくれましたが、我々の大きな荷物を腰掛け代わりにされてしまいました。
暫くして近くの席が空くと、三人で話し合って十五分交代で利用する事に合意、堀江もんそっくりさんが座りました。
初対面同士で絶妙な交渉、感心させられます。

2010年10月14日木曜日

中国のかぐや姫

地元の青年のバイクに乗って現れた満っちゃん。

御免、風が急に強くなって進まなくて、緊急着陸しちゃったの。
地元の人達が集まって来て、ご馳走になっちゃった、まるでかぐや姫になった気分、楽しそうに話し始めました。
バツイチの満っちゃん、おばさんになって以来、久々のモテモテに酔いしれていました。
ハーネスのポケットから、空ペットボトルの入った袋を取り出し、休日なので、大勢見物人来たので、一杯持ってきたよ、と老人に差し出す。
日本へ明日帰るので、もう持って来れないよ。

黙って袋を受け取りながら、老人の眼から涙が零れ落ちました……

2010年10月13日水曜日

北京の空

昨夜の雨が、赤帽から受けた嫌な気分を、黄砂混じりのスモッグと、一緒に洗い流してくれ、遠くの山並み迄望める、晴れ渡った北京の空を、飛行機は旋回しながら上昇していきました。

林州の山奥のペットボトル拾いの老人から、高速鉄道で乗り合わせた、発展する中国の原動力となっている、ビジネス達のしたたかさを垣間見て、手強い相手との思いを強くし、中国の旅を終えました。

2010年10月12日火曜日

北京西駅の赤帽

列車が北京西駅に着いたのは午後6時を回っていました。
私達の大きな荷物を見て、2元で運んでやるよと、赤帽が声をかけて来ました。
か弱い?満っちゃん2元だったら安い!私頼むと飛びつきました。

ホームレスらしき大勢の人が横たわっている通路を通り抜けながら、こんなに歩くなら俺達も頼めば良かったと男性陣にも泣きがでました。

ようやく南口に辿りつくと、赤帽に何か言われ、20元札を手に、今にも泣きそうな、満っちゃんがいました。

こんな重い荷物だから百元余計に払えと催促されているとの事。
それを聞いた横川さん、彼の腕を掴み。
そんなもん払えるか!公安に行こう。
その手を払いながら。
呼ぶなら呼んで見ろ、此処は中国だ!
と怒鳴り、満っちゃんの手から20元札をむしり取り、走り去って行きました。

横川さんて中国語で喧嘩出来るんだ、凄い。
成り行きを心配していた仲間が感心していました。

客待ちしている、評判の悪い北京のタクシーに乗らず、満っちゃんも懲りたらしく重い荷物を担ぎ、1キロ先の宿目指し、雨の中を歩き出しました……

明日早朝の、成田行き飛行機に乗れば、今回の中国旅も終了です。

2010年10月11日月曜日

断崖絶壁、ちょっと緊張します

二日目ティクオフへ登ると、霧は昨日より幾分晴れています、
離陸直後左へ舵を切りサマールをゲットしトップアウト、真下に見るグランド・キャニオンの様な断崖絶壁、ちょっと緊張します。
一時間程リッジソアリングして着陸地点目指し霧の中へ潜行していきました。

2010年10月10日日曜日

霧中飛行

山頂から下は黄砂混じりの霧で視界が利きません。
坂本さん地元フライヤーに着陸場所を聞いて離陸していきました。
「着陸場所が判りません」と無線が入り、そのうちアウトランしましたの連絡。
私は最後に飛ぶつもりだったけど、急遽パラを広げ離陸。
視界が利かない中、時折ロシアチームのパラが目の前を横切り不安になる。
高度計だけを頼りに感で目的地に向う。
高度500メートルを切ると地上が現れた。
目印のポプラ並木を探し南下していくが、中々白丸のターゲットが見つからない。
道を間違えたかと不安になる。
不時着覚悟で安全な場所を探し始める。
その時前方の空地に、ターゲットらしき白丸か見えた。
ラッキーと、すかさず舵を切り何とか無事着陸。
「無事着陸しました、目印に黄色いキャノピーを広げて置きます」と無線を入れました。
後続のパラも次々に着陸、しかし満ちゃんが戻りません。

2010年10月9日土曜日

恐怖のエレベーター

朝、ホテルの食堂へ行く為エレベーターに乗ろうすると、停電の為使えません。
もしかして誰かとじ込まれていたりしてねと、ふざけて扉を叩いて見ると、中から誰かが叩き返して来ました。
あれ、誰かいるよ!
掃除のお姉さんに知らせても、最初信用してくれません。
ようやくスタッフがやって来てドアが開けられ。
ああ助かったわ!
青ざめたみっちゃんが、現れました。

2010年10月8日金曜日

飛ぶ前からのドジ

林州のホテルへ着いたのは、深夜2時を過ぎていました。
タクシーからパラグライダーを降ろす時、額をトランクのふたにぶっつけ、出血してしまいました。
飛ぶ前からのドジ、先か思いやられます。

2010年10月6日水曜日

夜行バスの中でメールを打っています

アルプス飛行回想録を書き終え、依頼人の前勤めていた会社の編集担当に送りました。

予定通り今朝成田を立ち、北京から林州へ走っているバスの中でメールを打っています。

2010年10月3日日曜日

念願のアルプス飛行

・念願のアルプス飛行
 
 ノイシェフのキャンプ場は、教会の隣に在りました。
 
 ゴンドラの乗り場迄、歩いて行ける距離なので、夏スキー・岩登り・パラグライダーを楽しむ人たちが、沢山泊っていました。
 
 山から飛んできたパラが、頭上を通過し、村の牧草地に舞い降りました、
 飛ぶ許可を貰いに、クラブハウスに行き、申請用紙を提出しながら、料金を確認すると、無料との返事、さすがパラ先進国です。
 
ゴンドラに乗り、山頂に降り立つと、目の前からパラが、離陸して行きました、私も舞台に立つ役者になった気分、キャノピーを広げ、離陸のタイミングを待ちます。
 同行3人の見守る中、アルプスの空に、飛び出して行きました。
 
 4000メートル級の山並を、背に飛ぶアルプスフライト、祝福の教会の鐘の音が、聞こえた様な気がしました……

                              完

2010年10月2日土曜日

アルプス越えの続き

 
 夜中から降り始めた雨は、朝になっても止みません。
 ドロミテは雪だろうが、行けるとこまで、行くことにして、ゴンドラに乗り込みました。
 3000メートルを超える山頂駅は、やはり吹雪いていた。
 パラは勿論、岩登りも諦め、早々に下山し、天候の回復を、待つ事にしました。
 翌日も天候が回復せず、フライトは断念、次の訪問地ノイシェフに向け、コルチアを後にしました。

2010年10月1日金曜日

・アルプス越え

・アルプス越え
 
 空路で直接インスブルク入りした、岩登りの二人と、インスブルク市内のホテルで合流、
 
 後部トランクに入りきれず、室内にまではみ出した、キャンプ道具と4人を乗せたルノーの小型車は、悲鳴を上げながら、ロミオとジュリエットの舞台となった、イタリア・ベローネへ向け、アルプス越えの旅が始まりました。
 途中、昼食で寄った、街道沿いのパン屋で売られている、コッペパンを丸くした感じのカエサルパン、歯ごたえがあり、行軍途中のローマ軍兵士が、必死に嚙付いている姿を想像します。
 
 イタリア国境を越え暫くして、アウトバーンを降り、山岳道路を登り始めます、断崖絶壁の道路なのに、ガードレールが無いのには驚かされました。
 景観を損なうので設置しないのか、単に経費削減の為なのでしょうか?

 日没少し前に風光明媚な、ミズリー湖畔キャンプ場に到着、テントで夜明けを待ちます。